インドラの網

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「ごらん、そら、インドラの網を。」
私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。

宮沢賢治 「インドラの網」

青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/460_42328.html

 

インドラの網とは 

イントラとは、古代インドのみならず、古くはメソポタミアやトルコなどでも信仰されていた神。雷を操る神であり、象に乗り、ヴァジュラ(金剛杵:こんごうしょ)という武器を手に持っている戦いの神である。バラモン教ヒンズー教では神であり、ゾロアスター教では悪魔とされた。

勇猛盛んなところから仏法の守り神として仏教に取り入れられ「帝釈天」となり、梵天と並んで仏教の二大護法善神とされる。

帝釈天は世界の中心の山「須弥山」に住んでおり、その宮殿の周りには「インドラの網」とよばれるネットが張られていた。

そのネットの結び目には美しい宝石(宝珠)が縫いこまれており、それぞれの宝石はお互いに映しあい、その姿がまた他の宝石に反射し、無限に反映し合う。そして一粒の宝石に宇宙の全てが映し出されるという壮大な宇宙観、生命観。

華厳思想では重々無尽の法界縁起を説明する際の比喩として用いられてる。

 

ショーペンハウエルは、夢がその人自身の―自分では意識できない―ある一面によって作られるのと同じように、人の一生もその人の内なる意志によって作られるのではないかと言っています。ちょうど、偶然としか思われない形で出会った人が、のちに私の人生を構成する主要な働きをすることがあるように、私が知らずのうちに他人の人生を動かしたり、それに意味を与えたりすることもあるのでしょう。
…そしてショーペンハウエルは結論として、われわれの人生は、たったひとりの人間が見ているひとつの巨大な夢のさまざまな様相のようなものであり、その夢の中に登場するものもすべてまた夢を見るから、あらゆるものは他のあらゆるものと結びついており、それらが一つの生命の意志、すなわち、自然の内なる宇宙意志によって動かされているのだ、と言っています。
これは壮大な思想であり、インドで<インドラの網>の神話的イメージによって象徴されている思想です。インドラの網というのは宝石の網でしてね、縦糸と横糸が交わるところにはすべて宝石があり、その宝石のひとつひとつが他のすべての宝石の輝きを反映しています。
(モイヤース)それでいて、私たちはだれでもある目的を持った生を営んできた。そう信じておられますか。
(キャンベル)私は生に目的があるとは信じません。生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズムにほかなりません。
(モイヤース)まさか…まさか、そんな。
(キャンベル)ちょっと待ってください。純粋な生は、一つの目的を持っているとは言えません。…しかし、あらゆる生命体は、ある潜在能力を持っており、生の使命はその潜在能力を生きることだ、とは言えるかも知れません。そのためにはどうすればいいか。私の答えは、「あなたの至福を追求しなさい」です。あなたの無上の喜びに従うこと。あなたのなかには、自分が中心にいることを知る能力があります。自分が正しい軌道に乗っているか、そこからはずれているかを知る能力が。 

「神話の力」より