20年前

/* 邪魔なキーワード下線を消す */ a.keyword { border: 0 !important; text-decoration: none !important; pointer-events: none !important; cursor: default; color: #5A5A5A; }

蝉が羽化したばかりで、まだ柔らかい青緑の身体を動かさずじっとしていた。

生まれたばかりの発色は鮮やかで、刻々と色をかえて

透明の羽もまだ乾いていないよう。。

 

なぜ、生き物は知っているのか?なぜ自分でわかっているのか?

 

 

そんな点のような20年くらい前の記憶が、つながった。そんな気がする瞬間がある。

人間の時計の時間で20年。でもわたしにとっては2000年?

二月堂のお水取りだったか、“兜率天の一日は人間世界の400年に相当する”とかいうけれど、このわたしの人間世界の20年は天界では一瞬なのか?!

いや、実感としては何生も死んで生まれ変わっている気がするから、もう別の、何生か別のわたしのころの記憶なのである。

 

ああ、あのころに歩いた春日の森を宮司も歩いておられたんだな‥‥

 

たしかに、あの森には神さまが居られて、幼いこどものわたしたちに生命の神秘を垣間見せてくださった。

その神さまが、お使いの白い鹿に乗って御蓋山に降臨なさったんだとか。

 

今になって、あのころからすでに見守ってくださっていたんだと、あらためて感じる。(本当はもっと、ずっとずっと初めからだろうが‥‥)

大きな視線。

高いはるかな

 

小さなわたしたちを包むあたたかい空間。聖なるひととき。

 

 

生かされている

 

今も

過去も、これからも、ずっと、

 

人間の視点、はるかなる視線。