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遊ぶものは神である。

神のみが、遊ぶことができた。

遊は絶対の自由と、ゆたかな想像の世界である。

それは神の世界に外ならない。

この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。

神とともにというよりも、

神によりてというべきかもしれない。

祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、

秩序をこえた狂気とは、

神に近づき、

神とともにあることの証しであり、

またその限られた場における祭祀者の特権である。

 

 

遊とは動くことである。

常には 動かざるものが 動くときに、

はじめて遊は意味的な行為となる。 

動かざるものは神である。

 

 

 

白川静『文字逍遙』より