言葉は

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古い伝説や神話には、すべてのもののなかに隠された名前、秘密の言葉が眠っていて、その言葉は目覚め、見つけ出され、よみがえることを望んでいるというようなことが書かれている。ひとりひとりのなかに使命が、運命が眠っていて、全体と共鳴できて初めて、不調和から解放され、正しい音を奏でて、宇宙と生命の交響曲に加わることができるのだと。

「世界は創造されている。そしてこの創造物はそれ自身で創造を行う。あらかじめ与えられた設計図にしたがって。音を聞き、したがうことが、創造物としての、創造の言葉への反応なのだ。人間はなにに耳を傾けるかを選び、その選択によって性質や運命が決定される」(シュナイダー1966)

 

もろもろの天は神の栄光をあらわし、

大空はみ手のわざをしめす。

この日は言葉をかの日につたえ、

この夜は知識をかの夜につげる。

話すことなく、語ることなく、

その声も聞こえないのに、

その響きは全地にあまねく、

その言葉は世界のはてにまで及ぶ

旧約聖書 詩篇代十九篇「日本聖書教会刊聖書より」)

 

 

 

あまねく行き渡るこの響き合いと調和は、さらに深い次元にまでも届いているのではないだろうか?もし自然界のすべての形が音に反応しているのなら、宇宙のなかでもっとも繊細な現象である「意識」も、例外ではないのでは?意識は共鳴器官であり、反応する媒体としてこの上なく優れているのでは?

H・G・ニクラウス(1994)が表現するように、「すべての創造物は創造的な音楽の共鳴場を持っている。体は共鳴体、知性ある心は、創造的音楽をこだまさせる媒体として」。

 

 

 

アレクサンダー・ラウターヴァッサー「ウォーター・サウンド・イメージ」